織田信成の家系図!信長の子孫説は自称!

織田信成の家系図!信長の子孫説は自称!
織田信成の家系図

織田信成さんは元フィギュアスケート選手のプロスケーター兼タレントとしてご活躍しています。

涙もろく個性的なキャラクターが印象的で、私の中でも号泣しているイメージが強いです。

そして、織田信長の子孫といわれていたことをよく覚えています。

本当なら凄いなーと思っていたのですが、分かりやすく簡略化してご紹介した家系図を見ても分かる通り、実は途中に不明点があるので正式には認められていません。

ただ、もしかしたらそうなのかもなーと考えるだけでも歴史のロマンというか偉大さを感じることが出来ます。

それに、何といっても現代を生きる織田信成さんとその家族が幸せに過ごせることが一番です。

ご本人も知らない場合はどうしようもありませんが、案外身近な知人や友人にも歴史的人物の子孫がいるかもしれません。

そのため、自分自身のルーツを調べてみるのは結構面白そうです。

昔よりも家柄が重視されているわけではないと思いますが、話のネタとして家族と盛り上がる小話くらいにはなる気がします。

なお、個人的には余談として判明した加山雄三さんや菊池風磨さんが信長と遠い親戚関係だったという事実の方に驚きました。

目次

織田信成は信長の子孫を自称

織田信成さんはテレビなどで信長の子孫を自称していたことがあります。

ただ、祖父がいっていたからというレベルくらいで、家系図に空白の部分があることも知っているそうです。

そのため、ご本人もそうかもなーくらいの認識なのかもしれません。

現在は4人の子供に恵まれているので、もし本当ならこれからも脈々と血筋は引き継がれていきます。

そもそも織田信長といえば戦国時代を代表する歴史的人物として有名です。

1582年に本能寺の変で明智光秀に討たれましたが、豊臣秀吉の初の天下統一に繋がる足がかりを作ったといわれています。

そんな彼はとても子だくさんで、長男の織田信忠さんをはじめ息子が11人いるとか、少なくとも12人いるとか色々な説があるそうです。

娘についても12人以上はいたのではないかといわれています。

多くは戦国時代の動乱などで亡くなってしまったそうですが、何人かの血筋は後世に脈々と引き継がれていきました。

その一つが七男の織田信高さんの子孫で、1868~1889年頃の明治維新くらいまでは家系図も残っているそうです。

ただ、そこから数世代分の家系図が途絶えています。

その後、織田信成さんの祖父で、アマチュア古代史研究家の織田重治さんが自分たちが子孫ではないかと考え始めました。

ちなみに、織田信長を初代として考えると祖父が14代目、父親が15代目、兄が16代目、織田信成さん本人は17代目くらいになるみたいです。

織田信長の子孫は実在する

織田信長の子孫として家系図がはっきりしている人は現代にも残っています。

有名なのは織田信長の孫・織田高長の子孫であるフリージャーナリストの織田信孝さん、織田信長の弟・織田長益の子孫である織田裕美子さんなどの名前が挙がるかもしれません。

ただ、織田信成さん側のご先祖様と付き合いはなかったので、彼が本当に子孫なのかは分からないといっていました。

無数に枝分かれしていくし、昔は戦争などもあったので、普段から仲がいい近場の人でないとどんどん分からなくなるのは仕方ないと思います。

ちなみに、テレビで織田信長の子孫を調査した時、歌手で俳優の加山雄三さんやアイドルの菊池風磨さんなどが遠い親戚関係と放送されていました。

具体的に言うと織田信長と菊池風磨さん「38親等」の関係なんだそうです。

確かに遠い親戚といえますが、よく追跡したなーとテレビの調査力の方に驚きます。

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